2009年11月28日

発病

八月頭くらいから、身体の調子がおかしくなった。
だが、これは去年夏、飴チャンに言われ野菜ジュースを飲み続け治したものと同じ症状だったので、オレは近所のスーパーに通い、せっせと野菜ジュースを買い飲んでいた。
[8章]
しかし、今回は全く治る気配が無かった…
オレはスーパーやコンビニに行くまでの、ほんの何百メートルかを往復するのもやっとであった。

そして…
左目の視界が欠ける様になって来た。
これはただ事じゃないな…
オレはそう感じ、たまに面倒を見て貰っていたコヒバンのフイナルバンド、マネージャーのリエサンに助けを求め、何とか武蔵浦和駅まで歩き、電車で江戸川区まで行った。
かなりやっとの想いで江戸川区まで行ったのだが、数時間駅前で待たされた。
もう椅子に座っているのも怪しいくらいの状態だったが、友人アケと一緒に現れたリエサンにオレは酒を飲まされた。
そして、遥々隣駅だかの、リエサンの友人トモの家までチャリで行き、又酒を飲まされた。
そして『真っ直ぐ1Kくらい行けば小岩駅だから』と言われ、その場でバイバイした。
ただでさえフラフラだったが、酒を飲まされ更にフラフラだった。
しょうがなく駅まで何とか辿り着き、小岩から西船橋まで総武線、西船橋から武蔵浦和まで武蔵野線と言うルートで帰る事にした。
だが、体調絶不調で酒を飲まされたせいか、オレは電車の中で気絶した様に眠った。
これは気絶していたのかも知れない。
酒もたいして飲んでいないし、前の日も睡眠が取れていた。
時間も早く帰路に着いたが、オレは電車の乗務員に『終点で〜す』と声を掛けられ我に返った。
降ろされた場所は、東所沢だった…
オレはタクシー代もホテル代も無かったので、駅前の地面に新聞紙を引き、野宿をした。
夏場だったので、オレは今でも生きているが、あの体調絶不調の中、冬場の野宿だったらオレは間違いなく死んでいただろう。
だが、この野宿はオレに取って絶不調な体調を更に絶不調にする苛酷なものだった。
やはり地べただと余り眠れず、駅が開くまで起きていた。
これが、携帯電話でもあれば少しは暇つぶしも出来たし、助けが呼べたかも知れない。
が、携帯電話は、こないだ無くしたばかりだった。
助けを求めに行った訳だが、オレは肉体的にも精神的にも大ダメージを喰らった。
そして、数時間待ち駅が開き、また数時間始発を待った。
東所沢駅は早朝無人で、一応、整理券みたいのが自動改札で出て来て、電車を降りるホームで金を払うと言うシステムだったらしいのだが、武蔵浦和駅で電車賃を払おうと思い、駅員室に声を掛けると、誰もいなく、オレはそのまま金を払わず家に帰って即寝た。

これはオレが救急車で運ばれる十日前だった…

そこからオレは、更なる絶不調に見舞われた。
まず、かなりフラフラする様になり、コンビニまでの数百メートルを歩くのが厳しくなっていた。
それでも少しだが食欲はあった。
だが、父ちゃんが作ってくれた、なんか油っこい物を食べると…

オレは吐血をした。

そこから、頭のフラフラから身体全体に異変を起こした。
まず、右手が少しずつ痺れていった。

これはマズイな…
オレはそう思い、前述フイナルマネージャーのリエサンに電話で、その事を伝え助けを求めた。
だが、今は忙しいと言う事で助けにはならなかった。
そして、一日経つと更に右手は動かなくなって来ていた。
が、覚悟してフラフラの中、飯を買いに行き何とか食いつないだ。
だが、もう一日経つと、右手は全くといっていい位、動かなくなった。
そして、耳や言語にまで異変が出て来た。
もはや部屋の中を歩くにもフラフラだった。
オレは やばいと思い、何とか電話まで辿り着き、またリエサンに電話で助けを求めた。
が、また忙しいと交わされてしまった。
多分、この日は三回位助けを求めたと思う。
父ちゃんは、飯は作ってくれるのだが、やはり仕事があって病院に連れて行ってはくれなかった。
オレは徐々に飯も食わなくなっていった。

そして、とうとう麻痺が足にまで来てしまった。
でも、この時点では、やっとだが何とか歩ける状態だった。

しかし…
次の日には、丸っきり歩けなくなっていた。
オレは、トイレまでの約2メートルを這って10分掛けて行く身体になっていた…
だが、父ちゃんは まだ病院に連れて行く事はせず、飯だけ作り仕事に出た。
オレは、もう右手も使う事が出来ず、頭もフラフラ…2メートル先のトイレまで、10分も掛けて行く身体、飯を食う事も出来なくなり…

死を覚悟した…

だが、翌日の朝方、夏休み中の娘を連れ、母チャンが遥々様子を見に来てくれた。
そして即、救急車を呼び、戸田の病院まで運ばれた。
もう、この時点でのオレは、いつ死んでもおかしくない状態だったが、病院にやっと連れて行って貰った感じで、少し安心だった。
だが、この病院では病気がわからないと言う事で、違う脳外科がある病院に移された。
移された先の病院でも、MRIを見た脳外科の先生は
『これはウチで治る病気ではない。脳外科的には死んでてもおかしくない状態だ』
と言われ、大宮にある"さいたま日赤病院"の神経内科に移された。
脳梗塞などの外科的病気で、手術などを施し ある程度回復が見込める病気では無かった様で…
オレは、ここに しばらく居る事になった。

そして、入院前から数えると、約五日ぶりに飯を食う事が許された。

ここから、長い入院生活が始まった…
[13-4]

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