2009年11月30日

長い入院生活とMySpace

入院して約二ヶ月過ぎた訳だが、まだ1/5を過ぎたに過ぎなかった。
携帯電話も無く五ヶ月過ごす事となる。
この時点で、オレが入院している事を知っているのは、親類以外では僅か二人だけだった。
病状が死人手前から回復して来て、ようやく自分で起き上がる事が出来、オムツともオサラバ出来る様になった。
だが、まだ病院内を歩行出来るレベルでも無かった。
治療も月3日のステロイドパルス療法のみで、他はベットで寝ているだけだった。
タバコも内緒で二日に一本くらいしか吸えなかった。

まず、病院外に出る事が出来なかった。
車椅子でも、両手が使える訳ではないので、少しの坂道でも昇れなかった。
車椅子で移動出来るのは、病院内の平地だけであった。
携帯も無く出掛ける事も ままならない状態は、ずっと続いた。
だが、段々病棟の主の様になり、看護士や医師など、かなり話す人はいた。
この病院に長くいる事は覚悟した事だし、入院生活は苦では無かった。
だが、一応外部とも連絡を取りたいと思い、入院生活約五ヶ月目にして、やっと携帯を手に入れる事が出来た。
そして、何人かに入院している事を伝えた。

まず、NKメンバーのコタローに連絡を取った。
オレは、この時点じゃ病気は完全に治ると思っていたので、退院したらNKを復活させようと話した。
そして、オレはアナムにもメールしてみた。
『退院したらライブやるから出てくれ』
と話した。
が、断られた。
アナムとメールで話しをしたのは、この日が最後だ。
まだ2007年12月末の事だった。

そして、家から古い電話を持って来て貰い、そこに登録してあったメアドや電話番号を写し、皆に連絡を取ってみた。
それと、当時会員だったmixiを通じ入院している事を皆に伝えた。
今じゃ当たり前の様に こなしているが、左手で携帯文字を打つ事も ままならなかった。
右手はこんな感じだ。

そして、2008年になり活動休止状態だったNKサイトを元に戻し、オレは日記を書き始めた。
[正月オレ日記]

そして、何人かの友人達が見舞いに来てくれる様になった。
まずは、バンド仲間である、G-HEADのT-CRACK、ゼンカマンズのヤス、レノ、そしてケンタとクラサン、Chinese Bitchメンバー松木サン、グリサン、ヒロシサン夫妻、あと松木サンの友達の車椅子の子、そして普通の友人では、地元の仲間達5人…とアカリ。
来てくれたのは、それだけだった。
NKメンバーなどは顔を出す事は無かった。

そして2008年の二月…
やっとオレの病気の診断が付いた。

神経スイート病…

2000年代に発見された、新種の、まだ難病指定にもならない病気だった。
オレは、こんな性格だから自分の病気には詳しくないし、医者の話しを聞いてもサッパリなんの事だか わからない。
だが、難しい病気らしい。
埼玉県内で、この病気を持ったのはオレだけらしい…
そして、治療法であるステロイドパルス療法も、最初二回は効きもわかる程あったが、後半三回は横這いであった…
そして、脳の治療でステロイドを使う事によって、目の病気である結核性緑内障が悪化した…

そこで、残念ながらステロイドによる治療はストップとなってしまった…
これ以上の投薬治療では、失明する可能性もあると言う判断だろう。
難しい前例の無い病気とあって、主治医は治療法を手探りしながらやっている様であった。

そんな中…
スラッガーズTOKOサンの訃報が耳に入った…
二回対バンし、ライブもよく見に行ったし、色々なところで一緒になったり、年齢も近かったので仲も良かった。
だが、オレは入院中で葬式に出る事は出来なかった…
アナムにメールを入れたが返事は無かった…
TOKOサンの早過ぎる死は、悔やまれるとこだった。
その事を知ったのは、群馬のバンドLOVER SOULとばるサンからだった。
その夜、とばるサンと電話で話した。
オレに1番記憶に残っているTOKOサンは、残念ながらスラッガーズでは無く、LOVER SOULに飛び入りしてラフィンカバーをやったライブだった。
[過去日記]
冥福を祈りたい。
だが、この事でアナムから連絡一つ来なかったのは、心外だった…

オレの病気だが…
この時期もう、オレは病気が治る気はしなかった。
治療が頭打ちになり、オレはリハビリセンターでのリハビリを受ける事になった。
五月である。
埼玉上尾のリハビリセンターに転院し、足の装具を作った。
もう一生装具無しで、歩く事は出来ないだろう。

そして、六月…
外泊で、約十ヶ月ぶりに家に帰る事となった。
家に帰り、まずやった事は、友人レノにMDからCDに焼いて貰ったNKの2007年1月国分寺ライブ音源を、曲事分ける作業だ。
この頃のオレは、PCの知識なんて丸で無かった。
だが、自分がギターを弾く事が出来なくなった以上、ギターが弾けた頃の音源を世間に出しておきたかった。
オレは一生懸命PCを弄り、何とか3日掛け曲分けだけ終わらせた。
この3日間で、オレが取った睡眠時間は5時間だった。
オレは、NKのライブ音源を一枚CDに焼いて、病院へ戻った。
そして一週間聴き込み、どこをどう直すかを考えていた。
一週間NK音源の事しか考えていなかった。
そして、その週、オレの今後のリハビリ計画についての話し合いが、主治医、担当看護士、両親を交えて行われた。
リハビリ期間は、あと二ヶ月残っていたが、オレはNK音源の事しか頭になく、明日にでも退院すると言った。
両親達や医者は猛反対したが、オレの死んでも帰ると言う熱意に押され、入院期間は一ヶ月縮んだ。
退院予定は、オレの誕生日一日前の7/25だった。

そして、それまで土日になると、自宅へ外泊してマスタリングに追われる日々を送った。
この期間、病院でも、CD販売以外の音源発表の場を探した。

そして…

MySpaceを見つけた。

曲数は限られる様だが、MySpaceに出すのが1番聴いて貰える手だと思った。
そしてMySpaceで、他の音源がどの様な質の物が多いか、聴きまくった。
オレがMySpaceを聴いて第一に思った事は、どれもキチンとレコーディングされた物で、ライブハウスで無料配布される様なライブ音源など無かった。
だが、NKに取って、唯一の音源と言って良かったのは、この国分寺ライブの無料配布MD音源だけだった…
オレは考え、このライブ音源でも、レコーディング音源達と勝負出来るマスタリング方法として…

ボリュームを最大限上げるしかない…

そう思い、ボリュームを上げる事を第一に考え、マスタリングをした。
他の要素は殆ど無視だった。
このマイスペに、NK音源をUPするマスタリングに掛かった三日間は睡眠も三時間だけだった。
だが、やっと納得行く音量の音源が出来、マイスペにUPした。

そーやって出来上がったのが、NKのマイスペ音源だ。


MySpace

[過去日記]
オレは、この音源を4枚CDに焼いて病院に持ち帰った。

今でも生き続けている、NK唯一の音源は…


オレの執念だった。

[13-6]

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