2009年12月02日

音楽活動への支障

オレは11ヶ月ぶりに自由の身となった。
だが、身体は11ヶ月前と違い、自由が効かなくなっていた。
右手が全く動かなくなった事で、20年間どんな事があっても辞める事なく、弾き続けたギターが弾けなくなった。
それは、想像を絶する程ショックな事だった。
でも、オレは止まる訳には行かなかった。
NKではコタローが待っていた。
オレは、今の状態でも曲を簡単記録出来る、ミニキーボードとミニMTRを手に入れ曲作りに入った。

そして、NK用に曲を10曲近く作った。
だが、やはり以前ギターが弾けた頃より全然記録しずらかった。
鍵盤で弾くコードは、ギターで弾くコードと違ったイメージになってしまう。
『これは時間が掛かるな…』
色々試行錯誤しながら、やって行くしかなかった。

そして、退院してから二週間後くらいたって、友人達が退院祝いをしてくれると言う事で、退院後初めて出掛ける事になった。
近くだが当然電車に乗る事、てより駅まで歩く事も不可能に思えた。

が、車で迎えに来てくれた。

そして、友人ヤス宅で、レノ、アカリ、オレの四人で ささやかな退院祝いを やって貰った。
だが、この買い物にも着いて行く事は出来なく、外で待つようだったし、歩く速度も全然違う。
そしてヤス宅は、三階にあるのだが、エレベーターも無ければ、階段に手摺りも無かった。
それでも苦労して何とか三階のヤス宅に行く事が出来た。
だが、ヤス宅は普通の畳の和室で、畳に座りながら飲むと言う事になるところだったが、椅子を用意して貰った。
オレは、当たり前の事が当たり前に出来ない身体になっていた…
一応集まってくれた三人に、お礼として用意していたNKライブの音源をCDに焼き、渡した。

そして、一年ぶりに酒を飲んだ。
だが、久々に飲んだ酒と、前日の寝不足のせいで、オレはビール1リットル飲んだ時点で寝てしまった。
その後、起きたり寝たりで飲み続けた。
だが、酒を飲むとトイレに行く事も困難になると言う事を、この日知った。
そして、ヤスがギターを弾き出したのでオレは『ゼンカマンズやればいいじゃん』と言う話しをこの場でした。
このオレの何気ない言葉から、ゼンカマンズは活動再開した様に思う。
で、当然酒に酔った状態で階段の上り下りは出来ず、ヤス宅に泊まる事となった。
そして次の日の昼、レノに車で自宅まで送って貰い、この退院祝いは無事過ごせた。
だが、これによって、オレは他人の家にお邪魔するのが困難な事だとわかった。
あと酒を飲むと言う行為も、オレにとっては危険な事だとわかった。

この退院祝いは、他三人に取っては何気ない何でもない事であるが、オレは自分の行動を制限しなくちゃいけない、と考える機会となった。
そして、もう自分がNK SMITHとして今までの様にライブ活動をする事が困難だと強く感じた。

NK SMITHの行く末は、この時に決まった。
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